私的見解。高尚な文学書とライトノベルの違い
- 作者: 平坂読,よう太
- 出版社/メーカー: メディアファクトリー
- 発売日: 2009/01
- メディア: 文庫
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ラノベ部2の堂島の過去パートを読んでいてふと思ったこと。
あくまで私の勝手な考えですが、本を読むという行為は、その本を書いた人がどういうことを考えたのか、何を伝えたいのかを知るという会話――一種のコミュニケーションだと思うんですね。
「すべて良き書物を読むことは、過去の最もすぐれた人々と会話するようなものである。」
と言ったのはデカルトだったかな?
なので、誰かの考えに反対するように、その本を読んで否定するがあるのは当然あることだと思います。
ただ、それは相手の意見を吟味した上で、それでも自分はこう思う。と言う意味であって、話も聞かずにその存在を否定することとは違います。あなたはこういう意見を持つことは認める、それでも私はこう考える。と言う意味です。
ライトノベルと高尚な文学書の違いって、漫才や劇・ドラマなどと、偉い人の講義の違いみたいなものなんじゃないかな?
どちらが有益かって聞かれたら、漫才や劇やドラマは偉い人の講義と比べれば人生で役に立つ情報は少ないと思うし、そりゃ偉い人の講義だろうね。
でも、有益か有益じゃないかの問題以前に、目的が違うと思う。漫才を見に行く時、これからの人生で役立つ情報を得に行こう!なんて思うかな?
本気で漫才師を目指しているの人なら別だけど、ほとんどの人は「面白かった!」「楽しかった!」って感じたいから見に行くんだと思う。
そもそも、どちらが〜なのか、って比べるものでもないよね?
と言うのが私の考えです。
もちろん、私の考えに反対の人はいると思います。でも、それは違う!と思った方は、ちゃんと私の考えを読んで――つまり会話してくれたということで、私はそれはうれしいことだと思います。
本を読んで鵜呑みにするのではなく、それに対した自分の意見を持つこと、それこそが「読書」なんじゃないかな。
以上、私の勝手な考えでした〜